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| 思い出のコース 6 マキーナックアイランド |
もう一つ、アメリカでの思い出について書くことにいたしましょう。 夏休みや冬休みには家族でずいぶんと旅行をしましたが、あれは 渡米して最初の夏休みではなかったかと思います。 中西部には西からスペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオと五つの大きな湖があって、 シカゴはミシガン湖の西南部にあります。 その年、私たちは馴染みのミシガン湖を一周してみようということになりました。
ミシガン湖は縦500km、横180kmぐらいのナスのような形をした湖です。 急いで走れば2〜3日で一周できますが (翌年私はシカゴの自宅とフローラの片道450kmを毎週車で往復したものです)、 私達は観光しながら2週間かけて周りました。
メジャーな観光地ではないので見どころといってもどこも鄙びたものです。 そのなかでMackinac Islandは州立公園ということもあってちょっと華やかな観光スポットです。 ミシガン湖というよりもヒューロン湖に浮かぶ島でカナダもすぐ近くです。
直径3kmぐらいの朝顔の種のような形をした小さな島なので 私たちは貸し自転車を借りて島巡りをしました。 写真を撮るから合図をしたら走ってきてねと言って撮ったのがこの写真です。
私の「いいよー」という合図で皆が走ってきたところをパチリ。 この「いいよー」という言葉が現地人にはよほどhappyに響いたのでしょうか、 この後、アメリカ人の若者が何人も [yeeyooh!」 と掛け声をかけながら 私の前を走りすぎるのでありました。

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| 思い出のコース 5 フローラ |
上の息子が中学に入ったばかり、下の息子が小学生の頃、私はシカゴ事務所勤務となって 我が家はシカゴ郊外に居を構えた。 日本から持っていった自転車に加え、もう一台バイクを買った。 バイクと呼ぶにふさわしくタイヤが太く、空気はガソリンスタンドの自動車用空気入れで入れた。 近所にはforesto preserve がいくつかあって、森と池と芝生、それにサイクリングロードが 備わったものもあった。 一般道はほとんど車専用で自転車は走れないので、私たちはforest preserveまで自転車を 積んで行かなければならなかった。
1年が過ぎた頃、私は同じイリノイ州ではあるが、最南端に近いフローラという小さな町に転勤した。 そこに新設したばかりの現地法人・工場があってそこの副社長になったのである。 子供達はシカゴの日本人学校に引き続き通学させたかったので、私は米国内で単身赴任することにした。 月曜から金曜まではフローラで働いて、片道450kmを自動車で、或いは、小型飛行機で毎週通勤したものだ。 夏休みには家族がフローラに移り住んでカントリーライフを満喫した。 フローラにもforest preserveがあって、子供達が2台の自転車で、そして私達夫婦は自動車に乗って 自転車の後を走っていったものだ。 田舎町では行き交う車もないので時速10kmぐらいで走ったり止まったり、牧場沿いの道が子供達の お気に入りだった。 forest preserveでは、子供達はもっぱらブルーギルを釣り、私はコーヒーカップでバーボンの 水割りを飲みながら子供達の監視をしているフリをしたものだ。 (かの地では子供の入漁料はタダだが大人が付き添うルールになっていた。 又、屋外ではアルコールを飲んではいけない規則があったので、私はコーヒーを飲むフリをして コーヒーカップの水割りをちびちびやっていたわけである。)

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| 思い出のコース 4 泪橋 |
小さい頃、大人の自転車を三角乗りなどしていた。 初めて自分の自転車を買ってもらったのは、小学校2年生ぐらいだったろうか。 赤い自転車で、アクセサリーは何もなく今思えばクラシックでお洒落なデザインだった。 嬉しくてどこへ行くにも自転車に乗って出かけた。 勿論、当時は子供の生活圏の範囲内だったけれど。
小学生の上級になる頃、遠出する楽しみをおぼえた。 日暮里の家から大通りを北へ進むと隅田川の上流。 それを超えるとすぐに荒川に至る。 地図で見るとほんの片道2〜3kmだが、子供にとっては大旅行だった。 荒川の土手道をサイクリングするのが楽しかった。
記憶の中では途中、泪橋というのがあって、字の印象からしても 実際の景色からしても、滅法寂しげな場所であった。 私はその橋を超える時はいつも急いで渡った。
そんな事を思いだしたので地図で泪橋を捜してみたがどうしても見つからない。 インターネットで検索すると、家から東の方角で三ノ輪の先に 泪橋交差点というのがある。 川はない。
昔は川があったそうで、小塚原の刑場に罪人を送った家族が そこで泪を流して別れたそうだ。 イメージ的には子供の頃の印象にピッタリくるが方角があわない。 荒川に行くにはずっと遠廻りになってしまうのである。
子供の頃の記憶には、メルヘンチックなものが多い。

記事と挿絵は関係ありません
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| 思い出のコース 3 北海道 その5 釧路湿原 |
北海道の東北海岸地帯の多くは湿原で、その内の大きなものが釧路湿原である。 今回の旅に出る前、地方新聞社の記者が書いた釧路湿原に関する本を読んだ。 分厚い本の中で、作者は丹頂鶴のこと、塘路湖に住んでいたアイヌのこと、釧路川のこと、 そして何よりも湿原の中の様子など、たんたんと事実を書いているのであるが、 文章全体に彼の湿原に対する愛情のようなものが溢れていて読者をひきつける。 私は一気に読破したものだ。
詳しい内容は覚えてないが、旅行中ずっと私はその本の気分を引きずって歩いた。 湿原の中の道をどこまでも走ってみたり、塘路湖やその近くの川の船着場に行ってみた。
夏の湿原に人は踏み入ることはできない。 往時は私が自転車で走ったような道も無かった。 唯一の交通手段は船で、湿原の中を流れる川を利用して物資が運搬されていた。
塘路湖近くの川の船着場の様子がロマン溢れる筆致で描かれており、 私は尋ねて行った。 写真で見る通り何も無い川べりで、当時そのままの姿が今に残っているようだ。 そのあたりには蝦夷鹿の足跡が点々と続いていて、それも当時のままであったのではあるまいか。

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| 思い出のコース 3 北海道 その4 知床半島 |
網走からオホーツク海に沿って東に走っった。 やがて知床半島の付け根のウトロで、ここには宿があるので一泊することにした。 半島の先端に行く道は無いようだし、夏休みの日数にも限りがあるので 私はここから半島を縦断して羅臼に向かうこととした。
宿の窓から東の方を眺めると急峻な山脈が行く手を阻んでいる。 普段運動もしないのに急に走ったものだから疲労がたまっているし 連日のカンカン照りで、皮膚が火傷したみたいにひりひり痛む。 地図でみるとどうやら峠越えには1,000m以上登らねばならぬようだ。 鉄道は勿論無いし良い時間に走るバスも無い。 峠の頂上までいくらかかるかタクシー会社に問い合わせると5,000円と いうことなので、私は迷わず明朝1台予約した。
果たして峠越えはきつい上り坂であった。 地図を良く見ると登山道が併行するようにして登っている。 タクシーを頼んだのは正解だった。
峠の頂上で自転車を組み立てて羅臼に向かって走り出した。 快調なダウンヒルである。 羅臼に至ると濃い霧が海から押し寄せてきて日射も避けることができた。 私は何も無いさみしし道を走り続けた。

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