旅と自転車と
旅と自転車の談話室
プロフィール

ブランチェス 左千夫

Author:ブランチェス 左千夫
つましい生活ながら悠々自適の
63歳。
旅が好きで、或る時、旅の移動の手段として自転車が最適なことを発見しました。
ここは旅と自転車と人生の喜びを語り合う談話室です。
ワインを片手にあなたもお話に加わってください。



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書斎でトラベル   7.アメリカ ・ 田舎町のフローラ
もう一つ怖い話を。
私は1980年代中頃、家族をシカゴに置いて、同じイリノイ州のフローラという田舎町に
単身赴任していたことがあります。
シカゴに赴任した翌年、出来たばかりの現地法人の経営に携わったのです。

或る時、夜中の12時頃まで残業をしたことがあります。
オフィスに残っている人間は私一人です。
最後にオフィスを出るには大変複雑な施錠が必要で、間違うとセキュリティー担当社員の自宅に
警報が行くシステムになっています。
私は何とかクリアーして玄関を出ることが出来ましたが、外は真っ暗です。

田舎町の治安はいいと言われていますが、シカゴでの経験があるので,薄気味悪く
急いで車に乗り込んで素早くスタートさせました。
オフィスから自宅までは車で5分、入り組んだ道で行き交う車のあるはずもありませんが、
オフィスを出てからずっと私をつけてくる車があります。
ただごとではありません。
警察署に乗りつけようかと考えましたが、この時間に警官がいるとは限りませんし、
大体の場所しかわかりませんので、行ったはいいがまごまごしてしまうかもしれません。
顔なじみモーテルのご夫婦がロビーに居てくれればいいのですが、この時間では
もう寝ているでしょう。 それにあの家の番犬は人懐こくて役に立ちそうもありません。

私はあれこれ知恵を絞りましたが、とうとう自宅の前まで来てしまいました。
このまま自宅に帰れば、車を出たところでやられてしまうのは目に見えています。
私は自宅への入り口をやりすごし、その先の十字路を何となく右折したところ
街灯の下でおじいさんが二人、立ち話をしていました。

私は明かりの下に車を停めるとついてきた車も停まりました。
私は車から出て、おじいさん達の前に来ると、後ろの車に向かって大声で怒鳴りました。
「何だ、コノヤロー。」 勿論日本語で。
後ろの車には人相の悪いいかつい大男が3人乗っていましたが、私の剣幕に3人とも
ギョッとした様子で、何秒か後にはアクセルを一杯にふかせて
猛スピードで州道の方へ走っていきました。
私も少し追いかけましたが西の方に見えなくなりました。

アメリカの田舎町は安全と言われていますが、都会に比べて犯罪が少ないというだけで、
けして安全ではありません。
それにしても、あの悪漢どもは私に何をしようとしていたのでしょうか。

フローラ

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書斎でトラベル   6. サンパウロ (ブラジル)
サンパウロ

ブラジルのサンパウロを初めて訪れたのは1993年。
もう16年も昔のことになる。
会社としても初めてのブラジルへのアプローチで右も左も分からない連中4人が
チームを作って、取りあえず行って見て来ようということで出かけた。

休みの日に皆で繁華街を散歩していたら、多分日系移民の子孫と
思われる人たちが路上で焼きそばの屋台をひろげていたので、
私達は思いがけない日本の味に舌つづみをうった。

サンパウロは治安が悪いと聞いていた通り、道端には若い男たちが
所在無げに坐ったり佇んだりしていて、顔は動かさず眼だけで私達を追ってきて、
アメリカの黒人街で感じるような異様な雰囲気であった。

サンパウロを2回目に訪れた時には現地の会社と関係ができていたので、
空港への出迎えから移動まで全て彼らのお世話になった。
インフレは相変わらずで、レストランでは朝のメニューの値段を夕方には書き換えるという状況だった。

治安も悪化して提携先の会社の人から「とにかくサンパウロでは歩かないでほしい」と
強く念押しされた。
腕時計を狙われたら腕ごと持っていかれてしまうと脅かされた。

ヨハネスブルグにまわったのは3回目にサンパウロを訪れた時で、この時も
タクシーには乗ったが一切外は歩かなかった。
サンパウロの夜は一見のどかそうで散歩したくなるが、現地人の忠告をかたくなに守った。
仕事で出張の時は、万一の場合、現地の関係会社に助けてもらえるが、遊びで旅行する時は、
助けてくれる人もいないので充分気をつけてほしい。

書斎でトラベル   5. ヨハネスブルグ (南アフリカ)
南ア

来年ワールドサッカーが南アフリカで開催されます。
治安の悪さが懸念されていますが、私が8年程前に
会社の仕事で初めて南アフリカに行った時のことをお話しましょう。

私は普通、世界のどこにだってどんどん行ってしまうのですが、
あの時は治安が悪いという噂を聞いていたし
お偉いさんも一緒だったので、日本の商社にお世話になりました。

ヨハネスブルグに着くと商社の人が2台の車を用意して待っていてくれました。
1台は我々一行3名の乗用車でもう一台は荷物用です。
空港で目を付けられて、途中で荷物と人間が襲われるのを避ける配慮ということでした。

私達は一目さんで先ずは商社の事務所へ。
そこで荷物を受け取って、地下駐車場で違う車に乗り換えて目的地に向かったものです。

あの時は治安の悪いことでは定評のあるサンパウロ(ブラジル)からヨハネスブルグに
移動したのですが、余りに周到な商社の配慮に度肝を抜かれました。

飛行機でいくつか南アの都市を訪れましたが、どこでも空港には気の抜けない連中が
うろうろしていていました。
貧富の差、猛烈なインフレなどが治安の悪さの原因とのことです。
南ア政府にアンケートを求められたので、先ず治安を良くしないと
経済の発展は望めないでしょうとコメントさせていただきました。
来年サッカーを見に行く人は充分気をつけて下さい。

書斎でトラベル 4.  ソ連
ソ連が崩壊したのは1991年12月ですが、その2年前にはゴルバチョフさんの
ペレストロイカでソ連には自由な空気がみなぎっていました。
私たちの会社にも設備を導入したいので現地を視察してほしいとの要請があって
私と技術者2名が雪の降りしきるモスクワと少しシベリアよりの中都市を訪れました。
ソ連は宇宙科学ではアメリカを抜いていましたが、身近なところでは
建物の階段の高さが全て同じに設計されていないなど、ちょっと抜けている
ところがありました。
農作物や工業製品を作ってもタイムリーに需要者に供給できないので
作物を腐らしたり、大量に倉庫に抱え込むようなことをしていて、いかにも
経済効率が悪かった。
お上による計画経済がうまく機能していなかったのですね。
そのくせ、私たち外国人に対する監視は厳しいもので、許された道しか
通ってはいけないし、交通手段も定められておりました。
雪が深いからと言って汽車や飛行機を利用することは勿論できません。

ソ連

本当にものが不足していて、お酒を飲みたいので工場に保管してある糊を
遠心分離器にかけてアルコールを抽出したり、
極寒の川で魚を捕って食料にしたりしていました。
ソ連の人たちは数人集まるとなかなか難しいところがありますが、ひとりひとりは
本当にいい人たちで、そんな苦労話を笑いながら話してくれました。
昔と違って何でも自由に話していいことになったけれども、いったい何をどう話していいのか
わからないとも語っておりました。
トラバントという小型乗用車のボデーがベニア板で作られていましたが、今はもう様変わりしたことでしょう。

書斎でトラベル 3. イスタンブールからブルサへ
ある日私の事務所にトルコから親子の訪問者がありました。
父親はトルコにいくつか小さな会社を持っていて、息子はその中の一つで
規模は小さいながら私達とは同業者の社長です。
日本の先進技術を導入して大きな会社にしたいということでした。

トルコはアジアとヨーロッパの中間にあって、経済的には大切な位置にあります。
私達は早速現地の調査をして、結果はGOということになりました。
相手の会社はイスタンブールから車で5時間ぐらいのところのブルサという町にあります。
帝政時代の首都でゆかしげなまちです。

その後、具体的な販売活動でも協力してやっていくようになり、息子さんとは年も近いので
私はすっかり仲良くなりました。
ある日、私達がイスタンブールからブルサへ一緒に車で行った時のことです。
息子さんが親戚の家が近くにあるので寄って行こうと言いだして、
私達はトルコの田舎家のぶどう棚の下のベンチでチャイを御馳走になりました。
写真はその時に撮ったもので、ご家族の方が通りすがりの近所の人と立ち話をしているところです。
経済的には貧しい国ですが、皆さんのんびりと豊かに暮しています。

トルコ

トルコの人たちはとても親日家です。
昔、帝政ロシアにいじめられていた頃、日本がバルチック艦隊をやっつけたので
トルコ人達は溜飲を下げたとのことで、
当時、子供にトーゴーという名前をつけるのが流行ったとそうです。  

日本人もトルコが好きなようで、昔、江里チエミが「ウーシュクダーラギーデーリッケン
オードダビリアンブール」というトルコ語の歌を歌っていました。
ウーシュクダーラに行ってみたらという意味だそうで、イスタンブールの常宿から
ボスポラス海峡の向こうにその町が見渡せたものでした。




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